六 - 2

「――政宗殿」
その真田幸村は、常には考えられぬほど静かな口調で彼の名を呼んだ。
政宗はまだどこか呆然としたまま、ざく、ざく、と草を踏んで、歩み寄る。目の前に立ってみても、彼は見間違いようもなく、幸村だった。随分前の戦で命を落としたはずの、真田幸村だった。
「真田、幸村……どう、して、だってお前」
死んだんじゃなかったのか、と面と向かって言うのは流石にためらわれて、口をつぐむ。それでも言わんとしたことは伝わったようで、幸村は静かに苦笑した。それもまた、普段の彼からは珍しい仕草だった。
「政宗殿は、まだ気付かれておらぬのですね」
「アァン?何がだ」
「いえ、あ……何と申しますか、大変言いにくうござるのですが、その……」
それからたっぷり(政宗がいい加減焦れて、刀でも突き付けてやろうか、と思うくらいにはたっぷり)時間をかけて言いよどんでから、幸村は漸く言った。
ここは現世(うつしよ)ではござらぬのです、と。
「――はぁ?何だって、真田幸村」
「ですから、現世ではござらぬ、と」
思い切り口を開けて間抜け面をさらした政宗に、彼は真顔で繰り返した。
「おそらくここは、あの世とこの世の境目の地。そこな川は、所謂三途の川、ではないかと……」
 

普段なら、何をほざいてやがる狐にでも化かされたか、と盛大に笑い飛ばすところであったが、なぜだか、今回に限って、幸村の言葉は胸にすっと入ってきた。だってここに真田幸村がいるのだ。それこそが、その言葉が真実だという、十分すぎるほどの証拠ではないか。
「Ah……なるほどな。それならあんたがいるのにも説明がつく。ここまでの記憶があやふやになってるのも道理だ。つまり、俺は――」
 

死んだのか。
 

呟いた言葉に、幸村の方がなぜかひどく申し訳そうな顔をして、そうとお見受けいたします、と眉尻を下げた。この事態のどこに彼が申し訳なくなる要素があったのかは謎だが、とりあえず政宗は自分の口から出た言葉にすんなり納得した。ああ、そうか、つまり俺は、死んだのか。
また、ざぁ…っ、と風が吹いて、政宗の前髪を揺らす。
未練やら恨みやら、死んだら少しはそういうものが残るのかと思っていたのだが、実際こうなってみると見事に何も感じないものだ。胸に手を当てて自分の思考回路に感心してから、ようやく落ち着きを取り戻した政宗は、ん?と顔を上げて、目の前の幸村をまじまじと見つめた。
「お前……」
はい、と幸村が、生前そのままの調子で朗らかに答える。それに思いっきり胡乱な眼を向けて、政宗は全力で突っ込んだ。
「お前、なんでこんなところにいるんだ」
「はあ、ですから、ここは死者が……」
「んなこたぁ聞いてるんじゃねえよ。真田幸村!あんたは随分と昔にとっくに死んじまってるじゃねぇか!なんでいつまでも、こんな中途半端な所で油売ってんだ!死んだんなら、さっさとそこの川渡って成仏でもなんでもするのが筋じゃねえのか」
思い切り怒鳴りつけてやったというのに、当の幸村は、はあ、と何とも間の抜けた返事を返すばかりである。好敵手であったはずの相手に妙な説教をかましているという(しかも、お互い死んでいるというのに!)あまりにも変な状況に頭痛を覚えて、政宗は思わずこめかみに手を当てた。
「お前なあ、どれだけ経ったと思ってやがる。こんなところで迷子たあ、洒落になんねえぜ…」
「某は」
なおも言い募ろうとした政宗の言葉を、幸村が遮った。相変わらず、いっそぞくりとするほどに凪いだ声だ。熱すぎるほどに熱い男だったが、もしかしたら彼の本質は、荒ぶる烈火などではなく、こんなふうに内で燻ぶる炎なのかもしれない、と政宗は、背筋をふるりとふるわせた。こんな気持ちにされたのは初めてだった。
幸村はそんな彼を見て、ふっと笑った。どこか諦めたような笑みだった。
「某は待っておるのでござる――否、探しておる、と申した方が良いやもしれませぬな。見つけ出すまでは、某に川は渡れませぬ」
 

「……誰をだ」
「佐助を」
 

「……あの忍びか」
佐助を、と言って目を伏せたときの幸村の表情に、政宗はこの主従の間の関係を見た気がして、それ以上問いを重ねる気は失せた。他人の何とやらに口をはさむのは無粋というものだ。
けれどそれは数瞬。政宗殿、と言って再び顔を上げた幸村は、常の無邪気な明るさをすっかり取り戻していた。
「佐助を探しておったのは、真でござりまするが――思いがけず、貴殿ともこうして巡り合えて、嬉しゅうござる」
「Yeah、確かに偶然にも程があるってもんだ。まさかあんたとまた会う時が来るとはな」
「某も、貴殿とまみえる時は、戦場か、武田と伊達の同盟の成ったとき以外には考えられませんでしたゆえ、まさかこのような場所でとは」
「全くだ。大体、あんたを殺すのはこの俺だと、散々言っておいたっつうのに。結局、違うやつにやられやがって」
おかげで俺も、あんたに殺されそびれた、と大仰に肩をすくめて言ってやると、幸村は律義に、それは申し訳のうござった、と頭を下げてみせた。
「しかし、政宗殿とて、大人しく某に殺されては下さらなかったでしょうに」
「当たり前だ。この俺を誰だと思ってやがる」
そこまで言ったところで、可笑しくなって互いに噴き出した。笑いの合い間に、皮肉をいっぱいに込めて政宗は幸村を見やる。
「全く、どいつもこいつも――俺より先に逝きやがって」
はっとしたように幸村が顔を上げる。
首の六文銭が、ちり、と鳴った。
 

2010/10/29 ブログから転載するにあたり、少々改稿。
 

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