日が昇る前の、その一瞬を

 ふっと、誰かに呼ばれるように意識が浮き上がって、目が覚めた。
 ぱちりと開いた目には、見慣れた天井の木目がうつるばかりである。そっと起きだして戸をあけると、まだ暗い。
 小十郎はふだん、はかったように決まった時間に起きられる性質である。寝過ごすことはめったにないが、こうしていつもより早くに目が覚めることもまた、同じくらいには珍しかった。
 外の様子を見るに、いつもの朝よりもだいぶ早いようだった。とはいえ、とっくに冷たくなってしまっただろう布団にもう一度戻る気にはなれずに、小十郎は手早く身支度をすませると廊下に出た。  まだ夜の気配を色濃く沈ませた空気は静謐で、群青色の空に落ちかけた月が白く光っている。
 井戸で顔を洗ってしまってから、小十郎はこれからの行き先に、頭の中で畑と道場を天秤にかけ、迷ったあげく道場を取った。
 実をつけはじめたばかりの茄子の様子ももちろん気にはなるが、最近道場でひとり稽古をすることがなかったのを思い出したのだ。血気にはやる者の多い伊達軍では、いつでも誰かしらが稽古に励んでいるのが常だから、小十郎が道場に顔を出すと、皆が目をきらきらさせて指導を申しこんでくる。活きのいい少年や青年たちと剣を交えてやるのは楽しかったが、おかげで自分の鍛錬場所は、この頃もっぱら畑や庭になってしまっていた。
 一汗流したら、ちょうどあるじに朝を知らせる時間になるだろう。その後に待ちかまえているはずの、今日処理すべき案件の段取りを頭の中で組み立てながら、小十郎はすべるように廊下を進んでいった。
 ところが、道場の近くまで来たところで、小十郎は中にひとの気配があるのに気づいた。
 熱心な新入りでもいるのかと――剣の道に真摯なのは感心なことだ。将来の見所がある――思いながら一歩踏み出して、
 心の臓がとくりと鳴った。
 無意識にはっと息をつめたのにも気づかないまま、小十郎はそろそろと入口に近づいた。
 薄明かりの差し出した、がらんとした広い道場の中に、ひとりきりで黙々と刀をふるう後ろ姿があった。
 背筋の伸びた立ち姿。鋭い太刀筋。六爪をあつかう型破りな剣は、基本を極めたからこそ出来るものだと、見る者がみればすぐにわかる。
 入口で立ちつくしたまま動けずにいると、刀が風を切る規則的な音がつと途絶え、蒼い着流しの背が小十郎のほうを向いた。
 「見つかっちまったか。ったく、仕方ねえな」
 「政宗様……」
 政宗はこちらへ歩いてくると、額にはりついた前髪を片手でかきあげた。
 「目が冴えちまってな。この時間なら思いっきり刀を振れると思ったんだが。Such a boy!お前がこんなに早起きだったなんて聞いてねえぞ」
 「小十郎も、同じく……珍しく早くに目が覚めましたゆえ、こちらに。まさか政宗様が先にいらっしゃるとは、思いもよらず」
 「Ha!おんなじこと考えてたってわけか」
 ちょっと唇をとがらせてそっぽを向いたのが可愛らしく思えて、小十郎は眉を下げた。 流れる汗を手で払おうとするのを制して、ふところから手ぬぐいを取り出す。政宗は小十郎が首筋をぬぐっているあいだ、目をつむって黙っていたが、ふと小十郎の顔を見上げてやわらかく苦笑した。
 「朝っぱらからそんなふうに見られると、昔にかえったような気分になる。そんな目で俺を見るのは、夜のときくらいにしておいてくれ」
 「……それは、申し訳ございません」
 「おう、そうだ。こそばゆい気にさせんじゃねえよ……さて、小十郎!せっかくの機会だ。久しぶりに手合わせといこうぜ」
 刀を突きつけてにっと笑った片頬に、朝日がさあっと差しこんだ。みるみるうちに半身を照らし、そのからだが光の粒をまとう。
 夜が、明けたのだ。
 陽を浴びて凛と立つすがたが、刹那、目に焼きついた。小十郎もまばゆい光をいっぱいに浴びながら、負けじと頬を上げてみせる。
 「手加減はいたしませぬぞ」
 「Good!そう来なくっちゃな!Come on!」
 ああ、今日は良い日になりそうだ。日の出とともに始まる試合も、政宗なら“くぅる”と言うに違いない――頭の隅でそんなことを考えながら、小十郎は床を蹴った。
 朝稽古に来た若武者が、立ち合っている我らが大将と副将の姿を見つけて歓声を上げ、道場が詰めかけた観客たちでいっぱいになるまで、あと四半刻。
 

注・四半刻=約30分

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