わらしべバニー(1)

   普段寝起きの悪いバーナビーにしては珍しく、すっきりと気持ちの良い目覚めだった。
 ベッドから半身を起こして、どうしよう、と暫し考える。今日は休日だ。
 朝食は外で取ろう。ついでに散歩がてら朝の街を歩くのも悪くない。
 窓の外を鳥が飛んでいくのを見送って、バーナビーは暖かいシーツと別れを告げた。
 


 絵に描いたように清々しい朝だった。いつも角に出ているワゴンでサンドイッチを買い、公園のベンチに座って食べる。いつもならカフェにでも寄るのだが、今日は何だか開放的な気分だった。
 噴水を眺めながら食べたトマトとアボガドのサンドイッチは、あっという間に胃の中に消えた。
 ベンチでぼうっと辺りを眺めていると、街には色々な人が生活しているという当たり前のことに改めて気付かされる。出勤していくサラリーマン、目の前をダッシュで駆け抜ける学生、散歩中の老婦人、などなど。
 不意に悲鳴が聞こえて、バーナビーは反射的に身構える。声の聞こえた方向に首を向けると、少年がひとり頭を抱えていた。頭上では糸の切れた風船がどんどん上へと浮かんでいる。事件でなかったことに胸をなでおろしてから、バーナビーは辺りを見回した。少年の側には自分が座っているのと同じ形のベンチ、それから街灯。
 一瞬で足場をシミュレートし、地面を蹴った。助走をつけてベンチの上に飛び乗り、自慢の右足で踏み切る。伸ばした手を街灯のてっぺんに付き、更に腕の力で勢いをつけて空中へ。空いた左手で風船の短い紐をつかむと、あとは重力まかせ、着地の衝撃を膝で殺せば、完璧。
 ぽかんと口を開けている子供の前で何事もなかったかのように優雅に立ち上がってみせて、にっこり、いつものスマイルで風船を差し出した。
「はい、これ。今度は離さないようにね」
 子供はぱっと笑顔になって風船を受け取った。
「ありがとう!お兄ちゃん、凄いね!」
「どういたしまして」
「あっ、これ、風船取ってくれたお礼!」
 ポケットをごそごそ探って突き出された手のひらには、小さなキャンディーが数個乗っていた。
 ちょっとためらってから、バーナビーは素直にキャンディーを受け取った。
「ありがとう。大事に食べるよ」
「Happy Halloween!!」
 かけられた言葉に驚いて、バーナビーは目を見開いた。今日はハロウィンだったのをすっかり忘れていた。思わず心からの笑顔になってHappy Halloween,と駆け去る背中に返してやれば、振り返らないまま子供の笑い声が返ってきた。
 


 キャンディーをライダースのポケットに入れて、バーナビーは公園を歩いた。すれ違う人にたまに会釈をされるので、同じ仕草を返す。シュテルンビルト市民は基本的に優しくて、顔出しヒーローがそこらを歩いていても割合詮索しないでいてくれる。
 背後から何やら騒がしい声がしたかと思うと、なにか小さいものがわらわらと腰のあたりにひっついてきてバーナビーは面食らった。外面は無表情を保ったまま足元を見下ろすと、保育園児たちが6人ほどまとわりついている。
「ばーなびーだ!」
「ひーろーだ!ほんもの!」
 追いついてきた保育士らしき女性が、園児をバーナビーから引きはがした。頬を赤らめながらなされた説明で、子供たちは近くの保育所の子なのだとわかった。今日はハロウィンだから、皆で仮装してお菓子をもらいに家々を回りに行くんです、という言葉に納得してバーナビーはうなずく。成程ちびっこたちの恰好は、着ぐるみ、魔法使いの帽子とマント、おとぎ話のお姫様、と実に楽しげだ。
「Trick or treat!」
 たどたどしい発音で、子供たちは口々にバーナビーに迫った。勢いに若干ひるみながら、バーナビーはポケットを探る。けれど生憎、普段から菓子を持ち歩く習慣のないバーナビーの選択肢はひとつしかなかった。
「ごめんね、こんなのしかないんだけど」
 差し出したのは先程もらったキャンディー。もらったものを別の人にあげるという行為はあまりしたくなかったが、持っている食べ物はそれしかなかったし、だからといって何もあげないのも可哀想だから仕方がない、と自分に言い聞かせた。
「ありがとう!」
 口々にお礼を言う子供たちに、つい表情がゆるむ。しゃがんで目線を合わせ、Trick or treat?と茶目っ気たっぷりに返してやれば、子供たちは歓声を上げた。
「はい、ばーなび、おかし」
 アリス・イン・ワンダーランドの水色のエプロンドレスを着た女の子が、持っているカゴから包みを出してバーナビーに渡す。微笑んでお礼を言うと、女の子はにっこり笑い返してくれた。
 「いつもおうえんしてます、マイヒーロー!」
 ませた物言いが可愛らしい。賑やかな一行に手を振って別れを告げ、包みをのぞいてみると、中には手作りらしきドーナツが4つ並んでいた。
 


 包みをさげて通りを歩く。一人では食べきれないし、他のヒーローにお裾分けするにしても4個だと壮絶な争奪戦が勃発しそうなので(もしくはドラゴンキッドが一瞬で食べつくし、バイソンかスカイハイがこっそりと寂しそうな顔をする)、経理のおばちゃんかロイズさんあたりに普段のお礼も兼ねて渡そうか、と、行先をアポロンメディアに決めたところだ。
 ハロウィン、と知って改めて街を眺めると、あちこちにハロウィン用の飾り付けがしてあった。全体的に通りが黒とオレンジ色をしている。よく見ると、大人の中にもカボチャのイヤリングやオレンジのチーフでハロウィンスタイルを決めている人々がいた。
 わふっ、と至近距離で犬の鳴き声が聞こえて振り返ると、目の前に薄茶色のもふもふがあった。
 「……!?」
 咄嗟に反応が遅れた隙に、もふもふはバーナビーにのしかかってきた。重さを受け止めきれず尻餅をついたところで、バーナビーはようやく、そのもふもふが大型犬であることを意識した。
 「すまない、そして申し訳ない!怪我はないだろうか?」
 毛皮の向こうから耳に馴染んだ声がしたかと思うと、知り合いの顔が出てきた。
 「これ、スカイハイさんの犬ですか」
 「バーナビー君じゃないか!これは奇遇だね!…じゃない、うちのジョンが迷惑をかけてしまったね。大丈夫かい?」
 「ええ、少し驚いただけですから。ジョン君にはもう少し躾をすることをお勧めしますが」
 「バーナビー君の言うとおりだ」
 キースがしゅんと肩を落とした。耳が合ったらぺたりと伏せていそうな様子で、飼い主の方がよほど犬のように見える。
 「その、いつもはこんなことはしないのだが。だけどジョンが人に迷惑をかけてしまったことに変わりはない。ジョンに変わって謝ろう、すまない、そして申し訳ない」
 「もういいですよ。むしろぶつかったのが女性や子供じゃなく、僕で良かったです。この通り、怪我もありませんし」
 「そうか、それなら良かった…ああっ!」
 キースが急に声を上げた。
 「その袋…つぶれてしまっているじゃないか!」
 「…ああ。さっきの拍子に僕の下敷きになってしまったようですね」
 「なんてことだ!ああジョン!そしてジョン!」
 


 その後バーナビーは平謝りするキースをなんとかなだめて、つぶれてしまったドーナツを二人で食べた。女の子のくれたドーナツは多少形がひしゃげていても美味しいことに変わりはなく、バーナビー自身はとても満足したのだが、キースが聞かなかった。
 「お詫びのしるしだ。さっき買ってきたもので悪いのだが、もらってくれないかい。きちんとした埋め合わせは、後でさせてもらいたい」
 「いえ、そんな!気にしないでください、スカイハイさん…」
 「これは私の気持ちだよ。それに今日は、特別な日だからね」
 「まあ、ハロウィンですけど。でもこれ…」
 甘いものじゃありませんよ、と言いかけた時、ちらと時計を見たキースが立ち上がった。
「すまないバーナビー君、私はもう行かなくては。これから……その、用事があってね。呼び出されているんだ」
「お仕事ですか?さすがスカイハイさん、多忙ですね」
「いや、そういう訳ではないのだが」
 なぜか困ったような笑みを浮かべたスカイハイが気になったが、バーナビーは素直に別れを告げた。
「バーナビー君!」
 別れ際に呼ばれて振り返ると、キースとジョンがぶんぶんと手を(ジョンは尻尾を)振っていた。
「今日という特別な日が、君にとって良き日となりますように!」
 聖職者のような物言いがこれほど似合う人もいないだろう。あなたも、と返したバーナビーに、キースはいつものように右手を上げてみせた。  

go page top

inserted by FC2 system