ヒーローに救われた者たちー3

 チャーリー・エヴァンス(27)の場合
 

 ブロンズステージの舗装道路を、チャーリーはほろ酔いのいい気分で歩いていた。
 会社帰りに寄ったヒーローズバーでは久しぶりに事件を大画面で見られた。ビルが日に巻かれたときはハラハラしたが、結果的に犯人は逮捕、犠牲者もゼロ。見ている方もすかっとする終わり方だった。
 ヒーローズバー新発売のカクテルも美味しかったし、久しぶりにワイルドタイガーのインタビューも見られた。今日はいい日だ、とチャーリーはふわふわ思う。

 ――待望の今期初ポイント!ワイルドタイガー、感想は!?
 ――いやー、そりゃあ嬉しいっすよ!市民ひとりの命を救えたんすから!俺の力もようやっとちゃんと役に立ちましたしね!

 微妙にずれた返答がタイガーらしくて笑えたっけ。
 何を隠そう、チャーリーは10年来のワイルドタイガーの隠れファンだ。マーベリック事件の前、タイガーの人気が再沸騰したときにはこっそりガッツポーズをしたものだが、その後色々あってタイガーが引退し、1年のブランクを経て復帰すると世間のタイガーの扱いはすっかりコメディ要員になってしまっていた。同僚に言わせれば、「今はブルーローズが熱い!」らしい。それでもチャーリーはずっとワイルドタイガーを応援し続けている。自宅にはカードも揃っているし、タイガー特集の時のマンスリーヒーローもしっかり集めている。
 1ミニットになってからのタイガーはファン目線から見てもカッコ悪いことが多かったから、笑いながら実はひそかに心配していたのだ。救助ポイントを得たときには、自分のことのように嬉しくなった。
 家に帰ったら録画したHero TVを見返しながら飲みなおそう、と決意を新たにして、ビルはにやけそうになる顔を引き締めた。もうすぐ重要地点に差し掛かるころだ。
 根っからのヒーローかぶれであるチャーリーだが、ここ最近はもうひとつ、別の楽しみもある。気になる女性ができたのだ。
 その女性は、通勤途中に通る道の角にある花屋で働いている。
 毎朝チャーリーが出勤する時間には店にいて、シャッターを開けて開店準備をしたり、新しい花を店先に飾り付けたりしている。帰宅するときにもやっぱりいて、客と話していたり、店じまいを始めたりしている。緑のエプロンを着て栗色の髪をうなじでひとつに束ねた、なかなか目の保養になる子だ。
 ごく普通のサラリーマンであるチャーリーにとって、花屋はあまり縁がない。最初は「ああ、新しい子が入ったんだな」くらいにしか思っていなかった。
 ところが、1か月経ち、2か月が経ち、花屋の前を通る時の感想が「あの子毎日頑張ってるなあ」から「今日も可愛かった」になり、さらに「こっち向いて目が合ったりしないかな」になった時点で、チャーリーは自分の気持ちを自覚した。
 自覚した所でチャーリーはささやかなアタックを開始した。この頃は会社帰りに件の花屋をのぞき、花を1本、2本と買って帰るのが習慣になっている。おかげで家は男の一人暮らしとは思えないほどに華やかになったが、甲斐あって常連客として認識され、最近短い会話も交わせるようになってきた。名前も把握済みだ、マリア・シュルツ。名刺を交換した日は一人で祝杯を上げた。
 さて今日は何の花を買おう、どのくらい話せるだろうか、と浮かれていつもの角を曲がったチャーリーは思わず足を止めた。
 花屋は真っ暗だった。時計を見るといつもの時間よりも大分遅い。ヒーローズバーで盛り上がったぶん、閉店時間に間に合わなかったのだとチャーリーは気付いた。がっかりしたが、自業自得なので誰に文句をいう訳にもいかない。一気に沈んだ気持ちを無理やりなだめて、先程とはうってかわった足取りで歩き出す。
 そこに突然、悲鳴が響いた。
 ほろ酔いが一気に冷めた。とっさに駆け出して悲鳴の聞こえた路地をのぞくと、女性がひとり、5人ほどの男に囲まれている。街灯の光に浮かび上がったその顔を認めた途端、心臓が凍りついた。
 その女性は、チャーリーの想い人だった。
 血の気の引いた頭が、ワンテンポ遅れて猛烈な勢いで回転し始める。ネジの飛びかけた思考で咄嗟に浮かんだのは、ついさっき見たTVの向こうの姿だった。

 ――こんな時、ワイルドタイガーならどうする。

 見たばかりのインタビューに、いつだったか胸を高鳴らせて読んだタイガーのインタビューの見出しが重なった。

 ――『NEXTの力は愛する人を守るためにある』

 ――俺の力もようやっとちゃんと役に立ちましたしね!

 男の手にギラリと光るナイフを見た瞬間、チャーリーの身体は動いていた。


 マリア・シュルツは引きずり込まれた路地の奥で震えていた。
 いつものように勤めている花屋を出て、家に帰ろうとしてすぐ、男たちに絡まれた。やめてくださいという声は何の抵抗にもならなかった。突き飛ばして逃げようとしたけれど、ちらつかされたナイフに動けなくなった。
 下卑た笑い声を上げながら近づいてくる男たちに、上着の胸を掻き合わせてぎゅっと目をつぶる。
 ところが、次に聞こえてきたのは狼狽した男たちの声だった。
 恐る恐る目を開けたマリアの目には、何も映らなかった。
 正確に言うと、真っ白な煙しか見えなかった。突然発生した煙で視界を奪われた男たちはパニックに陥っているようだが、それも声しか聞こえない。
 事態を忘れてぽかんとしたマリアの腕を、誰かの手が掴んだ。声を上げる暇もなく引き摺られて、路地から連れ出される。そのまま無言で走らされた。
 明るい大通りに飛びこんだところで、その「誰か」はようやく止まった。
 そこで初めて、マリアは自分を助けた手の持ち主が、花屋に来る常連のひとり、チャーリー・エヴァンスだということを知ったのだった。
 


「大丈夫ですか」
 尋ねた声はみっともなく切れていた。普段運動不足な自分を猛烈に責める。
「……ええ」
 マリアがうつむいたまま、小さくうなずいた。
 まずそこにほっとしてから一呼吸おいて、チャーリーは我に返った。まだ腕を掴んだままだったことに気付いて、慌てて離す。
「あ、あの、突然すいません。変な男たちに絡まれてるのを見かけたもんだから、つい。怪我とかないなら良かったです、良ければ送りましょうか。あっ、何か変な意味とかじゃなくて、純粋にですね、ええと、その……」
 しゃべればしゃべるほど泥沼にはまってしまう気がして、チャーリーは焦った。そこに、くすっと小さく笑うマリアの声が届く。
「助けて下さってありがとうございました。すごく怖かったので…本当に、何とお礼していいか」
 薄く涙のたまった目尻をぬぐって彼女はほほえんだ。 「あ、え、何でしょう」
「助けて下さったとき、なんだか煙が突然わいたんですけど、あれはあなたが?」
「あ、ああ、あれは……」
 チャーリーは苦笑いした。不思議に思われるのはわかっていたけれど、できればそこは突っ込まないでほしかった。
「俺、NEXTなんですよ」
 目を丸くする彼女に眉を下げて、口を開く。そこから、ぽわんと丸い煙が吐き出された。
「でも、全然ヒーローみたいなカッコいい能力じゃなくて。『口から煙を吐く能力』なんです、大道芸人みたいでしょう?持ってたって何の役にも立たないし、小さい頃は制御できなくてそこらじゅう煙だらけにして迷惑かけたりもして…」
 いったん言葉を切る。ためらったが、思い切って言った。
「でも、初めてこの能力が役に立ちました。能力持っていて良かったって思えました」
 口にしてから猛烈な恥ずかしさが襲ってきた。赤面して取り消そうとしたチャーリーをさえぎって、マリアが言った。
「わたしは、すごく素敵な能力だと思います」
 チャーリーは想い人の顔を見つめた。きらびやかなシュテルンビルトの夜景も、この顔の前にはかすんでしまうのではないかと真面目に思った。ああ、街灯が俺達に浴びせられたスポットライトのようだ!
「……シュルツさん」
 チャーリーはできるだけおごそかに言った。
「警察に行って被害届を出したら、俺と飲みにでも行きませんか」
 驚いた顔をしたマリアが一拍置いてそっと頷くのを見て、チャーリーは心の中で高らかに叫んだ。

 っしゃあ!ワイルドタイガー、俺はやったぜ!

 その後連れ立って行った先のバーでマリアもワイルドタイガーファンだということが判明して意気投合し、そのさらに後、チャーリーがロマンチック好きな恋人のためにハート形の煙を吐く技を身に付けたりするのは、また別のお話。

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