アテナホールディングスは、七大企業の次番手に位置する中堅企業である。
 主に衣料品全般を扱っており、特に「アテナ・ジュニア」は可愛らしいデザインと財布に優しい価格で大人気の子供服ブランドだ。製造のほかに販売も自前で行っており、シルバーステージを中心にいくつか店舗を出している。
 今日の事件は、その店舗のひとつで起こった。
 ノースシルバーの店舗に侵入した強盗が、灯油をまきライターの火をちらつかせて店員を脅し、売上金を要求。店員は売上金を渡した。ところが強盗が誤ってライターを灯油に落とし、ビル火災に発展してしまったのだ。
 当然Hero TVは出動した。強盗は自分の起こした火災に腰を抜かしてヒーローが来る前に逮捕されたため、ヒーローたちにはビルの中に取り残された人たちの救助が要請された。

ヒーローに救われた者たち-1

 アリス・マクラーレン(42)の場合
 

 壁際にへたりこんだまま、アリスはひたすらに祈っていた。
 震えが止まらない。煙はどんどん迫ってくる。息苦しくて仕方がなかった。
 パート店員のアリスは普段、店の在庫管理をしている。パートの中では一番の古参で、なんとなく皆をまとめる役割をになっていた。
 火事の知らせがあった時も、アリスはパニックに陥った若い女の子たちを落ち着かせ、泣き出した子はなだめて、非常階段に送り出した。最後に大声を張り上げ、全員を無事避難させたことを確かめてから自分も避難しようとした。
その一瞬が命取りになったのだ。 最終確認をした一分にも満たない間に階段の入り口には煙が充満し、とても近づける状態ではなくなっていた。
 煙から逃れるように部屋の一つに逃げ込み、壁まで追いつめられたアリスは、そこで動けなくなってしまった。
 最悪の事態が頭をよぎる。とっさに頭をよぎったのは、子供たちのことだった。

 ――こんな目に遭うのが子供たちじゃなくて良かった。 

 自分の命よりも大切な二人の子供の顔が浮かんだ。けれど自分が死んだら、父親のいない子供たちは身寄りをなくしてしまう。育ちざかりの成長を見られなくなるのも嫌だった。まだまだ可愛い盛りの子供たちだ。生活に追われて構ってやれないのを、本当はずっと気にしていた。
 現実逃避なのか、アリスの頭は他愛ないことばかりで占められていく。すでに部屋の中には煙が入ってきていて酸欠の頭がガンガンと痛んだが、脳内は妙に穏やかだった。風邪をひいたとき、家族三人で出かけたとき、とぐるぐる走馬灯が巡る。昨夜下の子を叱ったきりだったことを思いだして、後悔に胸が締め付けられた。こんなことになるとわかっていたら頭ごなしに叱ったりしなかったのに。最後にかけた言葉が「そんな聞き分けのない子は嫌いよ」だなんて、死んでも死に切れないに違いない。
 そこまで考えて突然、まるで頭を殴られたようにアリスは我に返った。 

 ――そうだ、自分はまだこんなところで死ねない!

 力の入らない足を精一杯踏ん張って、アリスは立ち上がった。
 一番近いガラス窓を思いっきり叩いた。大きな嵌め殺しの強化ガラスはアリスが叩いたくらいではびくともしなかったが、誰かが気付いてくれればいいと一縷の望みをこめて叩き続ける。
 ガラスの前を、Hero TVの中継ヘリが横切るのが見えた。

 「誰か!誰か気付いて!助けて!」

 思わず叫んだ拍子に煙を思いっきり吸ってせきこんだ。
 ヘリは通り過ぎたきり、戻ってくる気配もない。後ろには炎がせまりつつある。絶望に目の前が真っ暗になりながら、子供たちを置いていけないという思いだけがアリスを突き動かしていた。必死で辺りを見回し、炎の近くに突っ込んでいって転がっていた椅子をつかむ。金属製のそれは熱にあぶられていてアリスの手のひらを焼いたが、痛みは感じなかった。
 大きく振りかぶって椅子をガラスに叩きつけた。最新設備を誇るアテナビルの強化ガラスは、ミシリと音が鳴っただけでヒビも入らない。歯を食いしばって椅子を握りしめたとき。
 窓の外にふわりと人影が浮かんだ。

 「スカイハイ!」

 ヒーローが来てくれた。
 震えるほどの安堵で、手から椅子が落ちる。腰が砕けて窓にすがりついたアリスに向かって、スカイハイは右手をしゅたっと上げた。テレビで見ているいつもの登場ポーズだ。お決まりの仕草がこんなにも希望を与えてくれるものだなんて初めて知った。
 そのまま風を起こそうとしたスカイハイが、不意に動作を止めて浮いたまま首をかしげた。安堵で一瞬気が抜けたのに加え、何があったのかわからないことも相まって不安が湧きあがる。届くはずもないのにスカイハイ、と叫ぼうとしたアリスにもう一度向き直ると、スカイハイは大げさな身振りで手を振った。
 胸の所から、片腕を横へ大きく振る動き。下がっていろの意味だと悟ったアリスは、退避できるぎりぎりのところまで這いずった。
 スカイハイが大きくうなずいた次の瞬間、窓の外に下から何かが飛んできた。

 一瞬一瞬がまるでコマ送りされたようにスローモーションで見えた。

 下から飛んできたのはブルーローズだった。ガラスの向こうの彼女と視線が交わる。

 ――伏せて!

 青く塗った唇の動きを把握する前に、反射的に尻餅をついた。間髪入れずスカイハイが前に出て手をかざす。
 巻き起こった風の刃が、ガラスを切り裂いた。
頭上を風の塊が通り過ぎる。スカイハイが急降下し、視界から消えた。白いマントの後ろから現れたのは、鮮やかな青い衣装。ブルーローズ。
目を見開いたアリスの目の前で、ブルーローズが銃を構えた。
風の塊を追うように氷が背後に飛んでいく。リキッドガンから撃たれた氷はアリスの後ろで部屋をふさぎ、ある程度の消火をするとともにバックドラフト現象を防いだ。
そのまま重力に従ってブルーローズが落ちていく。

「今助けに行くから!」

吹き飛んだ窓から、風に乗って今度こそ声が届いた。高い少女の声。
一瞬の間があって、再びスカイハイの姿が浮き上がった。

「ここから飛び降りるぞ。もう大丈夫、そして心配ない!」

騎士を思わせる白いスーツの腕が、アリスに向かって差し出される。
アリスは迷いなくその手を取った。

 地上に降りると事件現場に来ていたらしい下の息子が飛びついてきて、二人で思わず抱き合って泣いた。スカイハイはアリスを医者に引き渡すと、変わらない調子で「良かった!実に良かった!」と言った。歩いていく背中にありがとう!と叫ぶと、彼はさっきと全く同じポーズで、「礼には及ばないよ!私はヒーローだからね!」と返してきた。どんな時も変わらない態度がおかしく、そして頼もしかった。
 ブルーローズはバーナビーとワイルドタイガーの間で何やら話している。ちょうどカメラのないところにいたせいか、テレビで見るよりも気安いように見えた。バーナビーに不機嫌に何か言いつのるローズを、バーナビーが明らかにいなしている。見かねたのか若い二人の間にタイガーが入った。タイガーに何を言われたのか、ブルーローズが真っ赤になって彼のスーツを引っぱたいた。その姿が照れた時の上の子とそっくりで、アリスは思わず表情をゆるめた。いつも女王様キャラで通している彼女の素が見られた気がして微笑ましい。
家に帰ったら、息子にスカイハイのプレミアフィギュアを買ってあげよう、とアリスは決心した。昨日大泣きして欲しがっていた、バックパックから煙を出して本当に空を飛ぶ高級モデル。それと、ブルーローズの新曲を自分用に。


  そして今日の感謝の証にするのだ。

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