結論からいえば、新しい家庭教師としてやってきた片倉小十郎は、政宗の知る片倉小十郎の姿そのままだったが、政宗の知る片倉小十郎そのものではなかった。

  ――小十郎には、前世の記憶はない。

 いくら問い詰めても、小十郎はきょとんとした顔で首を振るだけだったし、しまいには頭は大丈夫かとでも言いたげな顔をされてしまった。それが偽りでないことは、目を見ればわかった。
 じゃあ目の前の彼はいったい何なのだろう。顔も声も同じ、名もほとんど同じ。政宗の前にあらわれたのも同じ。けれど政宗のことは覚えていない、武将であったころの記憶もない。単に似ているだけの別人だというのか。
 そんな莫迦なことがあるか、と叫びだしたい気持ちと、そう考えるしかないだろう、と投げやりに考える気持ちがないまぜになって、政宗は彼の帰った後のがらんとした部屋で、クッションをぎゅっと抱きしめてごろごろ転がった。
 その日は結局、眠れなかった。
 

 そうだ、記憶以外に違うところが、もうひとつあった。
 「彼」の左頬には、傷がない。

+ + +

 噎せ返るような血の匂いが、戦場のそこらじゅうに漂っている。初陣の時は気になって仕方なかったその匂いにも、とうに慣れてしまった。
 腕をふるうと命の華が次々消える。群がる兵士たちを蹴散らし、蹴散らし、敵本陣のある方向を睨みつけた。そこに敵の大将がいる。自分を倒し、奥州を我が物にしようと目論む輩だ。肚の奥からふつふつと怒りが込み上げてきて、胸のところで渦を巻いているのがわかった。
 「政宗様!」
 背後の兵を一撃で切り捨てて、小十郎が駆け寄ってくる。当然のごとく背中合わせに刀を構えなおすと、ふっと力が抜けて息が漏れた。間髪を入れず、鋭い声が飛んできた。
 「ご油断召されるな!戦場での気の乱れは命取りですぞ」
 「分かっている」
 息を整えて、周囲を囲む敵勢を見渡した。己の胸にそっと聞く。いけるか?
 Of course!小さな声が答える。まだ疲れもない、傷もない。背を預ける右目は、役目をきっちり果たしてくれている。十分だ。
 大きく息を吸い込んで雄たけびを上げた。奥州の土も民も、命はすべて、俺のものだ。お前なんかに渡しゃあしねぇよ。
 「Let’s get serius!」
 石の床にざっ、と踏み込んで刀を薙ぐ。
 「小十郎!背中は預けたぜ!」
 「承知!」
 打てば響くように返ってくる答えに、ひそかに唇を吊り上げた。高揚する気分のままに刀を振りかぶる。刀一本の型は、もとは小十郎の型だ。幼いころ、傅役の指南を真似て必死で覚えた名残である。
 「Ya――Ha!」
 刀身に雷が走った。青白い光が辺りを覆う、それすらも切り裂いて戦場を無尽に駆ける。向こうに見えた大将の腰の引けた顔が迫って――

 「――っ!」
 そこで目が覚めた。
 無機質なアイボリーの天井を見つめたまま、しばし呆然としていた。しばらくしてからのろのろと腕を上げて顔を覆うと、ふうっと深い息が漏れた。
 (夢……Shit!生々しすぎんだろ)
 目覚めるまで気付かなかった。目を閉じると、瞼裏に今も戦いの映像がよみがえるような気がする。
 前世の夢は、幼いころから政宗を悩ませてきたもののひとつだった。あまりに現実味があり過ぎるのだ。まだ自分のことがよくわかっていなかった頃は、時々現世と前世の区別が付かなくなったほどだ。
 体が成長するにつれて夢との折り合いの付け方を覚え、それに伴って夢を見る回数自体も徐々に減ってきていたのだが、小十郎と会ってから、再び頻繁に見るようになっていた。
 らしくなく混乱しているのだと自分でもわかっている。現れるのも突然だった上に、前世の記憶を持っていない可能性など全く想定していなかったから、時にどう接していいのか戸惑う。そして苛立つ。「小十郎」の存在は、可笑しいほど政宗の心に波紋を広げていた。
 「Shit…」
 舌打ちが声に出た。そのことに更に苛立って、政宗は汗にまみれた額を乱雑にぬぐった。荒れた息を戻そうと、暴れる心臓を無理やり抑え込む。いくらかの深呼吸で正常に戻りかけた鼓動はしかし、脇から控えめにかけられた声で一気に元の暴れ馬に戻ってしまった。
 「政宗様」
 「……小十郎。来てたのか」
 呼ばれた瞬間びくりと体をふるわせたのは当然見られているだろうが、政宗は腕を交差させて顔を隠したまま、布団の上からいささかも動かなかった。
 「ええ。今日が数学の授業の日だったこと、お忘れですか」
 「いや。……俺はどのくらい寝ていた」
 「それほどでは。15分ほどでしょうか。弟君にお通しして頂いたのですが、部屋に入ったら政宗様が眠っていらして驚きました。人前ではあまりそういう姿を見せないのかと思っておりましたので。……勝手にそう思い込んでいただけなのですが。見当外れでしたでしょうか」
 「いや、合ってる。…そうか、あいつがお前を」
 普段弟と全くといっていいほど接触のない政宗には、弟の小次郎が小十郎と会ったというだけで奇妙に聞こえた。
 「お疲れなのかと、しばらくそっとしておいたのですが。これ以上起きないのであれば、そろそろお起こしするべきかと思っていたところです」
 「もっと早く行動に移してくれて構わなかったんだがな」
 「それは申し訳ない。次からはそうすることに致します」
 「次はねえよ」
 寝起きで低くなった声で呟きながら、政宗はやっと顔を覆う腕を外した。と、視界にぬっと大きな手が出てきて面食らう。柄にもなくぽかんとして差し出された手に見入る政宗に、差し出した小十郎も、こちらこそ珍しく目を丸くした。
 「…政宗様?」
 「…あ、いや」
 気遣うような声に我に返って、眼前のがっしりした掌を睨めつける。眉を寄せるのだけはかろうじて抑えた。
 「…どういうつもりだ」
 「他意はございませんが。そろそろ勉強に取り掛からねば、時間が勿体ありませんよ」
 政宗は今度こそ不快をあらわにして、掌に掌を打ちつけた。ぱん、といい音がした。
 「いらねえよ。ガキじゃあるまいし、起きるくらい自力でできる」
 そのまま布団から一息で身を起こし、手で乱れた前髪を雑に整えて机に向かう。背後で自分を見つめる気配に、政宗は小さく舌打ちした。振り返らずとも、今小十郎がどんな顔をしているかくらいわかる。
 歩を進めながら、先程感じた既視感を思い返していた。
 思い返さずにはいられないのが、ひどく忌々しかった。

差し出されたその手には
一片の打算もなく

+ + +

 「――政宗様」
 戦の決した後、守りきった擦上原の竜の像の上にひとり立つ政宗に、後ろから声がかかる。振り返ると、像の下から小十郎がこちらを見上げて苦笑いしていた。
 「こんなところにおられるとは」
 「何だよ」
 「いえ、何も」
 何もないにしては含みを持たせた――まるで小さい子供を見るような――目でほほえんだ小十郎は、つと政宗に手を差し出してきた。 
 「そろそろ城に戻らねば、戦の始末が滞ります」
 「わかっている」
 「では」
 さあ掴まれとばかりに突き出された手に、政宗は嫌そうに溜息をついた。
 「いらねえよ。俺を誰だと思っている」
そのまま掌をぱんと弾いて竜から飛び降り歩き出した後を、小十郎が三歩遅れて追う。背に感じる視線がこそばゆくて、政宗は唇を尖らせた。
 「全く、いつまで経ってもガキ扱いしやがる」
 「それは小十郎は、政宗様の傅役でございましたから」
 「それは昔の話だ。今のお前は傅役じゃあなく伊達の副将だし、ついでに言わせてもらえば俺は梵天丸じゃなく独眼竜政宗だ!You see?」 
 「勿論でございます」 
 悪びれた風もなく答える声は、あからさまに笑い(それも、微笑ましいものを見る時の笑いだ!)を内包していて、政宗はちっと舌打ちした。 
 少しだけ満更でもなかったのは、独眼竜の名誉にかけても言ってやらないことにした。

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