伊達政宗は、幼いころ無口で殻にこもりがちな子供だった。 
 それはたとえば、無意識にか弟の方ばかりを構いがちだった彼の母親のせいだったのかもしれないし、常に様々な大人の出入りしていた複雑な家庭環境のせいだったかもしれない。もしくはたとえば、前世の記憶を持つという彼自身のせいだったかもしれない。本当のことは、誰にも――もしかしたら本人にさえ――わからずじまいだ。 
 ただ、前世の記憶という、周囲から奇異の目で見られてもおかしくないものの存在が、少年伊達政宗の情緒形成に一定の影を落としていたことは間違いないだろう。 
 前世の記憶――端から聞けばどこの三文小説だと笑い飛ばしたくなるような話だったが、残念なことにそれは真実だったのだ。少なくとも、伊達政宗にとっては。 
 彼にとって自分とは、戦国の世に生きる武将のことだった。

モノクロームの街の中、君だけは色を持っていた

 物心つく前から成熟した大人の精神をもっていた彼には、虚言癖を疑った大人に医者に連れていかれるとか、周囲の子供からからかわれるとか、そういった厄介ごとは一切なかった。 
 ただ、まず目に映るものすべてに馴染めなかった。
 普通の子供のように、世間を無心に吸収することができなかった。どうしたって、昔の知識が邪魔をする。生まれなおした世は、どこもかしこも前世とは違っていた。
 ただ新しいものがあるというだけなら、話は違っただろう。前世だって新しいものには目がなかったし、舶来の品も積極的に取り入れてきた。戦の世で、政宗はむしろ異文化を好む数寄者で通っていたのだ。
 しかしこれは違う。自分が今まで培ってきた常識、信念すら、ここでは通じない。政宗は大いに戸惑った。その結果が、「無口で殻にこもりがち」と称される幼少時代になった。
 いやむしろ、周囲を観察していた、という方が正しいかもしれない。
 子供のように無邪気に学べなかった代わりに、政宗は大人の目線で自らの生きる世のことを学んだ。一度つかむとあとは早い。政宗はすぱっと開き直った。迷っても仕方ない、与えられた場所で自分らしくやってやろうじゃないか、と。それからの政宗はすっかりいつもの調子を取り戻した。表面的にはもちろん普通の生活をしていたし、前世そのままの奔放な振る舞いは熱狂的な取り巻きすら生んだ。現代に生きる 人間として、それなりに日々を楽しみ、暴れまわってきた。そこに不満はないはずだ。
 それでも心のどこかで何とない違和感を抱えながら、政宗は現代の世で生きている。
 一時期、自分と同じように前世の記憶を持ったまま転生した輩がいないか、探したことがある。随分細かく調べたのだが、ついに見つからずじまいだった。そのうちなぜか前世の魂を見ることができる自称霊能者とやらに辿りつき、おどろおどろしい声で貴方の前世はかの織田信長公ですと告げられたところで馬鹿馬鹿しくなってやめた。ついでにそのインチキ霊能者は殴り飛ばしておいた。あんな魔王と一緒にされてたまるか。
 とはいえ探していないだけで、燃えるような目をした紅蓮の若者や、海を駆けた西海の鬼なんかのうちには、もしかしたら一人くらい自分と同じ奴がいるんじゃないかと今でも思っている。
 ただ、己の右目をつとめていた男だけは別だった。
 片倉小十郎景綱、彼一人だけは、政宗はきっともう会うことはないだろうと腹をくくっている。いや、そう言い聞かせているといった方が正しいかもしれない。

 だって今の政宗には、ちゃんと両目があるのだから。

 伊達政宗が現代の世に再び生を受けてから、15年が経っていた。

* * *

 授業の終わった後のHRで、教壇に立った教師が事務連絡を単調に読みあげているのを聞き流しながら、政宗はつまらなそうに窓の外を眺めていた。
 一番窓際の後ろの席は、春になったばかりのこの季節にはうってつけの場所だ。これで夏になってしまうと、今度は窓からさしこむ暑さに辟易することになるのだが。
 頬杖をついた右の小指が、右まぶたを撫でる。気付くとふと右目に手をやってしまうのは、小さなころからの癖だ。今の世に生まれてから眼帯など一度もしたことがないのに、いまだに時々、右の目がすうすうするような違和感を覚える時がある。
 高校に入学して一か月あまり。新しい仲間の顔と名前は大体把握した。人の顔を覚えるのは得意な方だ。見たところ、相変わらず「知っている」人間もいないようだった。そうとわかればあっという間に新生活への興味も失せてしまい、政宗はひたすらぼんやりする。
 そういえば今日、新しい家庭教師が来ると父が言っていた。
 政宗の家はいわゆる「いいところ」である。父は自分の会社の跡継ぎとして彼に期待をかけているようで、仕事が忙しいせいであまり接触はないものの、たまにこういう形で気にかけてくる。妙に前世と似通った境遇にいることには、早いうちから気が付いていた。
 ――小十郎。聞こえるか。
 ふとひとりごちる。
 不思議なものだ、と思う。小十郎が背を守り、常にそばにひかえているのが当たり前だと思っていたのに、こうして来世なんぞという訳のわからないところに生まれなおして15年、小十郎がいない方が当たり前になってしまった。それでも日常は回るし、時間はあっという間に過ぎていく。
 ――俺はちゃんとやってる。
 口の中で短くつぶやいてみる。彼が今どうしているのか――自分と同じように転生しているのか、成仏してしまったのか、さっぱりわからないけれど、これだけ伝わってくれれば小十郎は満足だろうと、そう思う。彼はそういう男だ。
 多分これからも、柄にもなくこういうことを繰り返しちまうんだろうなあ、とあきらめにも似た感情を覚えて政宗は考えた。Shit、感傷なんて似合わねえのに。平和だからこう、妙なことばっかり考えちまうんだ。あー戦してえ。
 とはいえ今生の世は穏やかなものである。
 考え事にふけっている間に、いつのまにかHRは終わっていた。

 部活――もちろん剣道部――の練習がない日は、することもないのでまっすぐ家に帰る。
 たまに街の不良たちが絡んできたり、政宗を(なぜか)慕う年下たちがまとわりついてきたりすることもあるが、たいていは適当にいなしてやる。今日も今日とてどこで噂を聞きつけたのか集団が喧嘩を売ってきたので丁寧に買ってやり(それをたまたま目撃した少年がいて、彼の口から語られた話によってさらに伝説が増えていくことになるのだが、もちろん政宗はそんなことは知らない)、帰宅した政宗はベッドに行儀悪く寝転がりつつ本を読んでいた。読書はわりあい好きだ。新しい知識を得るのは、いつだって悪くない。
 ちょうど第三章の最初の1ページを繰ったとき、呼び鈴が鳴った。
 父の言っていた新しい家庭教師だろう。内心ちょっとうんざりしながら、政宗はぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で整えつつ玄関に立った。
 表向き家庭教師とはいえ、内実は親が送りこんだ世話役に近いものだとわかっている。心配に思うことなど、何ひとつないというのに――けれど時には黙って安心させることも、子の務めには違いない。
 無意識に前髪を右側に寄せながら片手でロックをはずし、ドアを開けながら低くまくしたてる。
 「親父から話は聞いてる。俺が政宗だ、アンタか、家庭教師っつーのは――」
 顔を上げた瞬間、続けようとした言葉が一瞬で吹っ飛んだ。


 時間が止まったようだった。
 政宗はぽかんと目の前に立つ男――いや、まだ青年といっていい歳だ――を見上げた。
 彼は自分より少し高い位置から、まっすぐに視線を合わせてくる。
 「はじめまして。片倉小十郎と申します」

 ――片倉小十郎景綱にございます。

 ――己の前に膝をつき、平伏した後まっすぐに視線を合わせてきた、目。

 不意に重なった記憶に、眩暈を起こしそうになった。
 後にいつ思い返しても、政宗の記憶の中で、この時の瞬間だけが妙に色鮮やかに焼きついている。
 

 
――小十郎。

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