The child is father to the man.

  もう随分と前の話だ。
 20年…いや、もう25年になるか。時間が経つのは早いな。俺がまだ、社会人になったばかりの頃の話だ。
 新卒1年目、初めてもらった長期休暇で、彼女とオリエンタルタウンに行ったんだ。彼女がいわゆる日本かぶれでね、日本文化に触れたいと言って聞かなくて。俺は正直、彼女と旅行に行けるならどこだって構わなかった。まあなんだ、若い男にとって彼女と旅行ってイベントで一番重要なのは夜だ。わかるだろう?昼にどこにいようが、そんなに大した問題じゃない。
 てなわけで、最初はそこまで期待してなかったんだがな、オリエンタルタウンはなかなかどうして良い町だった。シュテルンビルトじゃまず見られないような森が広がってて、日本の珍しいものもたくさんある。彼女はいちいち大興奮さ。何よりのどかで、あそこだけ時間がゆっくり流れてくような気がしたもんだ。
 そんな感じで休暇を満喫して4日目、明日にはシュテルンビルトに帰るっていう日。
 俺たちは事件に巻き込まれた。

 バスのハイジャック。しかも犯人は頭がイカれてたのか、通路の真ん中で包丁持ったまんま訳の分からないことをわめいてやがる。これは後からわかったことなんだが、実際ヤク中だったらしくてな。いやあ、あん時は参った。
 隣の席の彼女は真っ青になって震えてる。俺もどうしたらいいのかわからなくて固まってた。シュテルンビルトの高速バスならまだしも、なんでこんな場所の路線バスでハイジャックなんか起こるんだよふざけんな!って脳内で逆ギレするほどには、現実逃避もしてた。
 俺達だけじゃない、乗客の誰も動けなくてな。無理もない、下手に動いて犯人のカンに触ったら即アウトだ。だからバスは行き先もわからないまま、超スピードでひたすら暴走するしかなくなっちまったんだ。
 俺は半泣きの彼女の手をひたすら握ってた。それしか出来ることがなかったからだ。後は運転手が事故を起こさないこと、それからハイジャック犯の気が済むことをひたすら祈るだけ。それしか出来ない。皆そう思ってただろうな。
 そうしたら、後ろから小さな声が聞こえたのさ。

「お姉さん、泣くなよ!オレが何とかするからさ!」

 そっと後ろを振り向くと、座席の背もたれの間からガキが顔を出してた。たぶん地元の子なんだろう、東洋系の顔立ちで、いかにもわんぱく小僧って顔をしてな。遠足前夜の小学生みたいに、目ェきらきらさせて笑ってんだ。
全然笑えない状況だってのに、俺はその笑顔を見て不覚にもほっとした。それでも一応、声をひそめてガキを叱りつけた。

「しっ!じっとしてろ、気付かれたらどうする!」

そうしたらそいつは胸を張ってこう言い返しやがった。

「オレは大丈夫だ!なんたって、オレはヒーローになる男だからな!」


開いた口がふさがらなかったね。
小生意気な態度にも、自信たっぷりに言い切った言葉の中身にも、とにかく、全部にだ。まだミドルスクールに上がるか上がらないかのチビが、なに調子乗ってんだ!ってな。
しかもその声が結構な大きさだったもんだから、案の定ハイジャック犯はこっちに気付いたみたいで、てめえら何してんだって喚きながら近づいてきた。俺はとっさに覚悟を決めて、座席から腰を浮かせて身構えた。彼女と、それからそいつを守らなけりゃと思った。
ところが俺が立ち上がる前に、後ろのチビがすっくと立ち上がった。
止める間もなく犯人を睨みつけたかと思うと、その体がすうっと青く光って――

 

犯人が吹っ飛んだ。

一瞬、何が起きたのかわからなかった。
中腰のマヌケな体勢のまま固まった俺に罪はない、はずだ。彼女が袖を引っ張るのに気づいてようやく我に返り、前方を指す指の先をたどって、まばたきして、そこでようやく事態を把握した。
ハイジャック犯とガキがもみくちゃになって運転席に突っ込んでいた。見ているうちにもぞもぞ動いて体を起こしたガキは全身が青く発光していて、そこで俺はこのガキがNEXTだってことに気付いた。詳しいことはよくわからねえがパワー系の能力で、犯人に突進して吹っ飛ばしたんだろう。犯人は運転席に乗り上げたまんまのびてやがる。

運転席……?

「やった!やっつけた!」
「バッカお前!運転手どうした!」

思わず怒鳴った俺に、ガキが慌てて犯人を運転席から引っこ抜いた。運転手は……嫌な予感通り、犯人の下で白目をむいていた。

「っだ!……どうしよう」
「どうしようじゃねえよ!まえ、前見ろ!」

フロントガラスに電柱がせまる。ガキが咄嗟にハンドルを切ったおかげで衝突はまぬがれたものの、バスは急旋回して乗客が悲鳴を上げた。

「席の下にブレーキあるだろ?2つあるペダルの、左の方!それ踏め!」

揺れるバスの中でどうにか前に行こうとしながら、俺は叫んだ。緊急事態だ、子供にブレーキ踏ませたって多目に見られる……といいんだが。
ガキは足先でペダルを探って、思いきり踏んだ。
バスはぐんとスピードを上げた。

「そっちはアクセルだッ!右と左の区別もつかないのかお前!左!左踏めって言っただろ!」
「んなこと言われたってわかんねえよ!」

怒鳴りながら、今度はちゃんとブレーキに足が届いたらしい。バスがぐっと速度を落とし始めた。
乗客の誰もがほっとしたところに、ぽつんと落とされた声が、やけに大きく響いた。

「あ、やべ。……ブレーキ折れた」


「何やってんだーーー!」

乗客が悲鳴を上げるのと、俺が叫んでサイドブレーキを引っ掴むのと、バスがカーブにさしかかるのがちょうど同時だった。真っ正面にはコンクリート塀。あんなところに突っ込んだら終わりだ。
渾身の力でサイドブレーキを引いた。まさに火事場の馬鹿力ってやつだ。バスのタイヤがキィィと悲鳴を上げて、滑りながらスピードを殺していく。
カーブに間に合うかどうかはギリギリ。目の前に迫るコンクリートが、やけにスローモーションで見えた。

「おりゃあああぁぁっ!」

いつの間にかガキも一緒にサイドブレーキを引いてた。脳内に彼女の笑った顔が浮かんで、こいつだけは守りたいと思った。止まれ止まれ止まれ――あの時ほど真剣に何かを祈ったことはなかったな。あの時ほど叫んだこともなかった。多分、もう一生ないだろうな。
あと2メートル、1メートル――ぎゅっと目をつぶったところで、最後に耳障りな音を立ててバスは止まった。
恐る恐る目を開けると、バスと塀の距離は15センチもなかった。
遅れて、わあっと乗客の歓声、それから拍手。俺は飛びついてきた彼女を受け止めて、ガキの方を見た。いつの間にか青い光の消えたガキは得意げに笑って、俺はヒーローだからな!と言った。それから口の形だけで、彼女とうまくやれよ!と言った。
俺はクソガキの頭に拳骨を落としてやった。

バスを降りると、酷使したタイヤは擦り切れてボロボロになっていた。本当の本当にギリギリのところだったんだと、それを見てようやくぞっとした。
ついでに言うと、ブレーキはどうもガキのNEXTの仕業らしい。まだうまく制御できねえんだよ!って叫んでた。サイドブレーキも俺が手を放した途端に折れて唖然となったね。
犯人は無事逮捕、運転手もムチ打ちになったらしいがまあ無事で、俺達乗客は警察の事情聴取を受けてから解放された。あのガキには、兄貴らしい顔立ちの良く似た男が迎えに来ていて、迎えを見た途端首を縮めて逃げ出そうとしたあいつの首根っこを引っ掴んで拳骨ぐりぐりの刑を食らわせていた。よしもっとやってやれ兄ちゃん!と思ったが、もちろん口には出さなかった。
彼女の肩を抱いて警察署から出ようとしたところで、声がした。

「なあ!助けてくれて、ありがとな!かっこよかったぜ!」

振りかえると、クソガキがぶんぶん手を振っていた。目が合うと、満面の笑みでサムズアップ。
突き出された小さな拳をしばし見つめて、俺は笑った。

「お前もかっこよかったぜ?チビのヒーローさんよ」
突き立てた親指は、たぶん、ヒーローの印だ。

兄貴に手を引かれて帰っていくガキを見送りながら、彼女は俺に言った。ありがとう、すごくかっこよかったよ。すごく、ヒーローだったよ。
俺は彼女の手を取って、その場でプロポーズした。目を丸くしてから笑顔で頷いた彼女を抱きしめた瞬間、周りから拍手が巻き起こった。それでようやく思い出したのさ、ここは警察署の中で、周りにはバスの乗客たちがまだ大勢残っていたってことに。
彼女は耳を真っ赤にしたまま、埋めた俺の胸から顔が上げられないようだった。俺は皆を見渡してとりあえず笑ってみたが、顔が熱くて仕方なかった。そんな風にして、俺達の結婚生活は始まった。
――ああ、それが今の妻だよ。今も日本かぶれは相変わらずで、ヒーローの折紙サイクロンの大ファンだ。Hero TVで見切れを必死に探すのが日課になってる。
毎年結婚記念日になると、妻とあの時のことを話すんだ。あのガキのこともな。全く、生意気なクソガキだったよ!何度思い出してもむかっ腹が立つ!今頃どうしてるのかね、もういい大人だろうが、ヒーローにはなれたのかね。実はそれからも何度かオリエンタルタウンには行ったんだが、結局あのガキには会えずじまいだったんだ。

こんなところで俺の話はおしまいだ。一般人の俺が唯一体験した事件の話。長くなっちまったが、聞いてくれてありがとうな。――え?俺の好きなヒーロー?なんだなんだ、唐突に。今の話とあんまり関係ねえだろうが。
ま、いいか。妻のお気に入りは折紙だし、娘はバーナビーにキャーキャー言ってるが、俺の贔屓はワイルドタイガーだ!俺くらいの歳になると、ロートルヒーローって響きに共感するんだよ。それに何かを守ってる時のタイガーの背中は、家族を守る父親の背中と同じ匂いがするんだ。今度よっく見てみろよ。

それと、もうひとつ。
タイガーの突っ走りっぷりを見てると、あのクソガキを思い出すからさ。

(三つ子の魂百まで)
pixivからの再録ですが、pixiv投稿時とはタイトルを変えてあります。元は「オリエンタルタウンでクソガキにあった話」でした

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