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確かな今日と
鏑木・T・虎徹。
人の名前を、これほど憎しみをもって呼んだことはない。
男の顔を睨みつける。こいつは敵だ。サマンサおばさんを手にかけた、憎い憎い敵。
なぜ、サマンサおばさんがこいつに殺されなきゃいけなかったんだ!
おばさんは両親をなくしてからの僕をずっと支えてきてくれた、僕の大事なひとだ。その人を、よりによってあなたが殺すなんて。ずっと信じていたのに……!
―――え?
ふっとわいた疑問は、形になる前に炎のような憎しみに焼かれて消えた。
バーナビーと鏑木・T・虎徹は、ゴールドステージのスタジアムで向き合っている。
彼をここまで追い詰めた他のヒーローたちには、最後に1対1で倒したいと頼んで引いてもらった。今は犯人が暴れたり逃げ出したりした場合のために、スタジアムの周囲を固めてくれているはずだ。
男は無造作に立っているだけのように見えた。見た限りでは武器も持っていない――当たり前だ。この男は体の中に武器を持っている。NEXTという、危険すぎる武器を。
先に口を開いたのは、バーナビーの方だった。
「お前が、鏑木・T・虎徹……!」
「バニー!」
かぶせるように響いた男の叫び声に、バーナビーは目を見開く。聞いたこともない呼び名が、なぜか自分を指していると理解できた。
「バニー、なあどうなってるんだよこれ。何か皆俺のことがわからないみたいだし、いきなり殺人犯に仕立て上げられるしで俺、もう訳わかんねえよ。お前何か聞いてねえか」
場違いに明るい声だった。表情もへらへらと締りのない笑みだったが、ハンチングになかば隠れた目だけは深く沈んでいて、本気でそう思っているわけではないと知れた。
――そうやってしらを切って油断させるつもりか。
頭がかっと熱くなって、バーナビーはほとばしる感情のままに叫ぶ。
「僕を馬鹿にしているのか!サマンサおばさんを殺しておいて、よくもそんな口が利ける、鏑木!」
「……やっぱり、バニーちゃんも俺を覚えてねえのか」
男がすっと真顔になった。低い声が、今はただ気にさわる。
「もう喋るな。おとなしく手を上げて、こちらに投降しろ。抵抗すれば……」
「抵抗すれば?」
「……攻撃する」
男はしばらく答えなかった。
「俺は捕まるわけにゃいかねえんだ。俺にはまだ、守らなくちゃいけないもんが沢山ある。だけどこれだけは言わせてくれ!俺は、人殺しなんかしてない!」
「何を!」
「俺は違う!信じてくれ、バニー!」
言い終わる前に地面を蹴っていた。
左足が地面から離れるのと同時にハンドレッドパワーを発動させて、そのままトップスピードの勢いに乗せて蹴りを叩きこむ。先手必勝。そう思ったのだが、男はバーナビーの渾身の一撃をひらりと飛びのいてかわした。ハンチングがふわりと宙を舞う。
「なっ…!」
数瞬遅れて、男の身体も青白く発光する。
くっと歯を食いしばって、バーナビーは再び跳躍した。犯人のNEXTも自分と同じハンドレッドパワーだと聞いている。だとしたら、こちらの能力が切れる前に仕留めなければ、先に発動した自分が不利になるのは明らかだ。
こういうときにワイルドタイガーがいれば能力を温存できたのに、彼は何をやっている。いつもなら仕事に誰よりも熱くなるあの人が、今日に限ってなぜ…
あの人?
あの人とは誰だったろうか。名ばかりのコンビだったはずのワイルドタイガーの素顔を見たことはないはずなのに。
違和感を眉を寄せて振り払って、バーナビーは戦闘に集中しようとする。男は端的に言って、強かった。生身とはいえ、現役HEROでしかも現KOHのバーナビー相手に互角の戦いを繰り広げている。
蹴りをすれすれのところでかわし、パンチは腕を添えて受け流す。反撃に出ると見せかけて跳び上がり、バーナビーの背後に逃れる。まるでバーナビーの動きを読んでいるかのような身のこなし、流れるような動きは、見とれてしまいそうになるほどだった。
攻撃が決まらない苛立ちに唇をかんで、バーナビーは男に向かって駆け出す。男が避けるばかりで自分に一切攻撃を仕掛けてこないことも、苛立ちを加速させた。
このままでは決着が着く前に能力が切れてしまう――それだけは避けたい。パワードスーツを着ていないので正確な時間を把握してはいないが、残された時間はあと1分半ほど、それまでに何かしらのダメージを負わせなければ。
焦りを乗せた拳が空を切った。男は余裕すら見せてふわりと後ろに飛びのく。拍子に、ポケットから何かがきらりと光ってこぼれ落ちた。
「……あ!」
咄嗟にそれを追って男が腕を伸ばす。はじめて、男のバランスががくんと崩れた。
その致命的な隙に。バーナビーの本気の蹴りが叩き込まれた。
「ぐっ…!」
強烈な力を腹に食らって男が吹き飛んだ。地面に叩きつけられた瞬間、身体の発光がふっとかき消える。
一発で動けなくなった男に、バーナビーはゆっくりと歩み寄った。さながら獲物を捕らえた獣、敗者を従える勝者、絶対的な優位を見せつけるように一歩一歩歩を進める。男はバーナビーを見上げたまま、少しも抵抗をみせなかった。
「……バニー」
「鏑木・T・虎徹。貴様の能力は、5ミニッツハンドレッドパワーじゃないのか」
「…へへ。今はもう、3分半と少ししか保たねえんだ。…ごめんな、バニー。もっと早く言えればよかったんだけどな。どうしても言えなかった」
「何を言っている。訳の分からないことをぬかすな、殺人犯が!」
「俺はサマンサさんを殺してなんかいねえ!」
「まだ言うか!」
「俺はやってねえ!俺を信じてくれ!なあバニー、本当に忘れちまったのかよ、頼む、思い出してくれよ、俺達相棒だろ?俺を見ろよ!」
「黙れ!」
必死にバニー、バニー、と繰り返す声が耳障りで叫んだ。おばさんを殺したお前がおばさんの名を呼ぶな。僕の愛称を呼ぶな。信じられないくらいどす黒い感情が胸の奥から湧き上がってくる。――殺してやる。おばさんを殺した罪、死をもって償え――
殺意のままに男に向かって利き足を振り上げた。能力の切れた琥珀色の瞳が、まるで無防備にこちらを見上げて見開かれる。瞬間、パワードスーツを着ていればとはじめて悔やんだ。能力の持続時間はあと少し。斎藤さんのグッドラックモードがあれば、この憎い、どうしようもなく自分を苛立たせる男をもっと劇的に殺してやれるのに。
代わりのように胸の中でカウントを取った。
5,4,3,2,1,
―――tiger&bunny, over&out.
「―――バニー!」
―――――ッ!!!
衝撃で立ちこめた土煙がだんだんと晴れてくる。
バーナビーの足は、男の顔をかすめてグラウンドに亀裂を入れていた。
「な……んで……」
見張られた男の瞳が、愕然とするバーナビーに向かってゆっくりと細められる。
「忘れモンだ」
伸ばされた手のひらに、小さなピンズが乗っていた。さっきポケットから落ちたのはこれかと、うまく働かない頭の隅でバーナビーは考える。
「せっかく作った思い出、落っことすんじゃねえよ」
バニー。
囁くような声だった。ああ、自分はこの声を知っている――。
ピンズに伸ばした震える手が、男のものと重なった。
「……あ…」
「バニー、信じてくれ。バニー」
その瞬間、光が頭の中を駆け巡った。
「……僕はバニーじゃない。バーナビーです。………虎徹さん」
「あ……お前、わかっ…」
あえいだ虎徹の手を、バーナビーは握りしめて額に当てた。
「僕、なんで……なんであなたのこと、わ…忘れて…ごめんなさい、ごめんなさ、」
されるがままだった虎徹の顔がゆっくり寄って、こつりと額と額が合わさった。
「お前にまですっかり忘れられたら、どうしようかと思ったよ、俺」
「……はい」
「思い出してくれて、良かった…」
虎徹の声が不自然にふるえて消える。はじめてこの人が泣くのを見た、とバーナビーは場違いなことを思った。自分の声も、負けず劣らずふるえたひどいものだったけれど。
「……たとえ記憶操作されたって、相棒を忘れたままでいるほど、落ちぶれちゃいませんよ、僕は」
顔を上げた虎徹は見事な泣き笑いで、バーナビーは同じ顔をしている自分をその琥珀色の目の中に見たのだった。
「行こうぜ。反撃開始だ、バーナビー」
「はい、虎徹さん」