つながる

 廊下の向こうにふと気配を感じて、自室で文机に向かっていた小十郎は筆を止めた。
聞きなれた、わざと荒く乱した足音がまごうことなくこちらに向かっているのを認めて、障子に向き直り平伏する。読み通りに、足音が段々近づいてきたかと思うと、邪魔するぜの一言と共に障子がすぱんと開け放たれた。 
 「政宗様。御用なればこちらから出向きますゆえ、どうかお戻りを。御身を大切になされませ」 
 顔を伏せたままの開口一番の小言に、政宗はちっと舌打ちした。 
 「案ずるな。傷はとっくに塞がってる」 
 「しかし、まだ本調子ではおられぬのでしょう」 
 身を起こしてずばりと言ってやると、政宗が目にみえて言葉につまった。 
 豊臣との死闘を経て一月が経とうとしているが、政宗の心身の芯にはまだ疲労が澱のように溜まっているのが小十郎には手に取るようにわかる。療養もそこそこに戦の始末に奔走していたのだ、無理もないと思うが、なかなか思い通りにならぬ体に他ならぬ政宗自身が苛立っているのも、よくわかっていた。 
 果たして、政宗は唇をむっと曲げて反駁してきた。 
 「そういうお前こそどうなんだよ。もう身体は大事ないのか」 
 「小十郎は、とうに。元より外傷は大したことがございませんでしたから」 
 澄まして答えると、主は嫌そうに眉を寄せた。可愛くねえ奴、と顔に書いてある。可愛くなくて結構、と心のうちだけで反駁して、小十郎はす、と畳に手をついた。 
 「改めて、此度の失態、申し開きの仕様もございません。如何様なる罰も受ける所存、どうぞご存分に」 
 「失態?そんなものがどこにある。大体お前は」 
 言いさした政宗が、ふっと言葉を切った。 
 とっさに顔を上げると、政宗は切なげに目を細めてこちらを見ていた。 
 「――お前は、離れていても俺を想っていただろう」 
 問いかけではなく、事実を事実として断定する口調に、胃の腑のあたりがざわめくのを感じる。 
 言葉がのどに詰まった小十郎に、政宗はすべてを見透かしたように唇を上げた。 
 「I always know…俺には分かる」 
 「政宗様、ですが」 
 「また側に戻ってきてくれた…それだけで良い。償いたいと言うなら、今度こそ俺の背を離れるな。一々言わせんな莫迦」 
 「政宗様…」 
 「ま、今度のことでもう一つ、わかったこともあったがな」 
 がらりと声音を明るく変えて、政宗は小十郎を見下ろした。軽い口調と裏腹に、纏う気配はひどく静謐だ。 
 「お前もそうだろう?とっくに知っているくせに」 
 「何を、でございましょう」 
 「お前相手じゃ、身体なんていらねえんだ」 
 小十郎は息をつめて政宗を見上げた。いつも鋭いひかりをたたえている左目は、逆光で影になっているうえに前髪に隠れてうかがえない。 
 「……You see?」 
 ただ、なかば吐息のような言葉に、うっそりと笑みが混じった。 
 小十郎はすうと目を閉じる。まひるの日に照らされて、瞼の裏が赤く染まっていた。戦場の血の海よりも、もっとずっと赤い色だ。生きている身体の色だ。 
 置いてゆかれたはずの身体に、熱い血潮がどくんと脈打つのがわかる。暴れる心の臓をかかえて、小十郎は瞼を上げた。ほほえんだ。 
 「……はい。政宗様」

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