天駆ける竜

 「小十郎!」
 高い子どもの声が、背にかぶさってきた。
 思わずだらしなくゆるみそうになった頬を叱咤して、小十郎は自室に飛びこんできたあるじを出迎えた。それでも、振り返った顔はどうしても、慈しみにあふれたものになる。
「梵天丸さま」
 あるじはもうすぐ元服の儀を迎える。この名を呼ぶのもあと少しの間だと思うと、自然、発せられた声にも感慨がこもった。
「どうなさいました?ご用がおありでしたら、小十郎の方から伺いましたのに。虎哉和尚とのご勉学はもう終わられたので?」
「今、終わった!」
 梵天丸は誇らしげに叫んで飛びついてきた。
「梵天丸さま、お行儀が悪うございますよ」
「Yeah,sorry・・・それよりも、小十郎!今日、お師匠から習ったんだが、小十郎は、李克用を知っているか?」
 のぞきこんでくる顔には、新しい物事を学んだ喜びがいっぱいにあふれている。あるじの利発さを誇らしく思って、小十郎は目じりを下げた。だが、梵天丸の望む答えは返してやらない。知らないととぼけて梵天丸を得意がらせるのはたやすかったが、そう簡単に喜ばせてやるほど、小十郎は甘くはなかった。
「李克用、ですか…確か、後唐の始祖となった武将と記憶しておりますが」
「なんだ、知っていたのか」
 梵天丸は小十郎の顔を見上げて唇をとがらせた。
「小十郎は、なんでもおれより先に知っているから困る」
「そのようなことはございません。現に、小十郎は伴天連語をさっぱり解しませんし」
「That’s it!お前も覚えればいいだろう。そうすれば、おれがお前に教えてやれる」
「いえ、小十郎には荷が重すぎます。それよりも、梵天丸さま。李克用が、どうかなさったのですか?」
「話をそらしたな、小十郎」
 言うなり、梵天丸は首を伸ばして、小十郎の胸を力一杯突いてきた。子どもとはいえ、すでに武芸の才を開花させつつある彼の力は強い。うっと声が出そうになるのを、小十郎は腹に力をこめて耐えた。
 梵天丸の頭は胸を突いた体勢のまま、ずるりと下に落ちてきた。そのまま腹に頭をうずめて、ぐりぐりと摺りつける。
 彼が甘えを見せるのは、小十郎に対してだけだ――けれど、こんな風に躊躇いと自らを押しつけるような幼さが同居したような甘え方は珍しい。微妙な違いを小十郎は敏感に感じとったが、しかし、その心の底が見えない。小十郎は、そうっと声を落とした。
「・・・梵天丸さま?」
「・・・お師匠が」
 小十郎はくぐもった声を聞きのがさないよう、慎重に耳を傾けた。
「お師匠が、李克用は強い武将だったって」
「はい」
「黒備えの軍が、鴉と言われて恐れられたって」
「・・・はい」
「・・・・・・独眼竜と、呼ばれていたって」
「・・・・・・はい。左様にございますな」
 そこでやっと、梵天丸の胸に渦巻く思いの端をつかめた気がして、小十郎は微笑んだ。
 そろそろと腕を上げて、癖のある髪を撫でる。それからしがみついてくる腕をそっと外して、居ずまいを正した。
「梵天丸さま」
 傅役としてではなく、臣下として相対するときの重い声に、梵天丸がはっと顔をあげた。
「梵天丸さまにはじめてお目にかかりましたとき、小十郎は貴方様に竜を見たのです」
 前髪のあいだからのぞく蒼の左目が、鋭いひかりをたたえてこちらを見据えている。それを真正面から見つめ返して、小十郎はくちびるをゆっくりと持ちあげた。
「小十郎は雷に打たれたような衝撃をおぼえました――現世に、このようなお子が真におられるものなのかと。あのとき、貴方様の中の竜の魂が天へ駆け昇って行かんとするさまが、小十郎には確かに見えたのです」
「That’s the way you felt then」
 梵天丸が、かすかな声でささやいた。
「梵天丸さまこそ竜となられるお方。李克用など何ほどのものでありましょうか・・・天を統べる竜にふさわしくあらせられるのは、梵天丸さまただおひとりにございます。小十郎は、その背を支え、お守りするためにこそ此処に在るのです」
 しばらくの間身じろぎもせずに小十郎を見つめていた梵天丸は、やがて――にやり、と笑った。
「小十郎は、何でもおれより先に知っているから困る」
「は」
「You said it・・・まさに、おれの話したかったことだ。おれの心まで、おれより先に知るんじゃねえよ」
「・・・承知」
 胸の奥に、ゆっくりと暖かいものが広がっていく。この方ならば、いつか、必ず――そう考えて、目頭がつんとするようないとおしさに、小十郎は目を細めた。
 

 鬨の声が、高く低く地を這っている。
 獣のようなうなりの中を、馬が鋭く切り裂いて走っていく。
 揃って気勢をあげる兵たちの先頭を切って、たくましい蒼い背が馬上で真っ直ぐにのびていた。
「Let’s show time!! Have a party!!」
 吠えて、政宗が刀を振り上げる。若い身体が興奮にふるえているのが、ななめ後ろに控えた小十郎にもはっきり見てとれた。
「Hey, 小十郎!しっかりついて来いよ!!」
「承知!貴方の背はこの小十郎がお守りする――存分になされよ!」
「いい返事だ――Ha!!」
 にいっと笑って、政宗が馬を駆っていく。小十郎も馬の尻に鞭を打って、その後を追った。
 天は抜けるように碧い。その下を駆け抜ける弦月の前立てが、陽光をはじいてきらりと光る。もしも遠くから見わたすならば、それはきっと竜の角だ。後に続く兵たちの蒼い列は、さながら空へ駆けあがる竜の胴体のようにみえるだろう。
 自分の愛刀に刻まれた文字をふっと思い起こして、小十郎は頭を振った。
 

梵天成天翔独眼竜
 

 あの後下賜された刀の鍔元に、小十郎は刀匠に頼んで銘を刻んでもらった。幼かった梵天丸への願い、小十郎の無二のあるじへの誓いをこめて。自分への戒めという意味も、ひそかに忍ばせて。
 小十郎は生涯武士であり、この刀とともに在る。そしてこの刀と共に在るかぎり、小十郎は政宗の臣であり続ける。
 いや――違う。わざわざ残すべきしるしなど、本当は必要ない。政宗への想いは、とうに魂の底に刻みこまれて、消すことなどできない。刀があろうとなかろうと、そんなことで変わらず、小十郎は政宗の右目だ。
 ただ、形にしておきたいと思ったのだ。ともすれば暴れだす己の中の獣を抑えるために。自分の役割を忘れぬために。
 政宗はこの銘の真意に気付いているだろう。聡い彼が、それでも刀を見るたび唇を上げるだけで何も言わないのは、きっと、二人が二人で生きてきたからだ。
 あるじがまだ幼子だったころから、竜を誓ったあの日まで、すべてを二人で過ごしてきた。そして今確かに、彼はあの日交わした言葉のまま、竜となって此処に在る。小十郎も、またそうだ。
 Yeah――と、政宗がまた、ひときわ大きく叫んだ。小十郎にはそれが、若き竜の魂から迸る咆哮に聞こえた。
 そっと刀の束に触れてから、小十郎は手綱を引き締めなおして政宗の背を追った。
 

アニバサ弐で黒龍にふぉぉ!となったところに、5話の回想シーンを見てものすごく滾りました。過去話万歳^^
アニバサ弐の補完話は色々書いていきたいです。というか切実に参期を求む!

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